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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

グローバリズム「平らから丸いへ」

2005.08.22

『1850年地球はまだ丸くなかった』

地球は球体ですが、その昔大型の帆船〔当時としての〕の出現前は人間の活動に当然制約もありましたので、地球という大地はその当時途方もないスケールで広大な土地でした。本来丸いはずの地球は人間の行動範囲や生活範囲においては「平ら」という概念が一般的でした。当時の学者たちの間では球体の理論があったとは云えまだ見ぬ平らな大地または海洋によって「丸い」を証明する手段を持ち合わせていなかったというのが現実でした。地球が丸い事を身をもって現したのは1519年から22年にかけてのいわゆる「マゼランの地球一周」によって実験的に実証されました。残念な事に「フェルディナンド・マゼラン」自身はフィリピン近海のマクタン島で不慮の事故により亡くなりました。そして、彼の船団は、まる三年を費やして地球を一周し、最初の出港地「サンルカル・デ・バラメダ港」に戻りました。この時から地球は「平ら」の時代から「丸い」時代になったと言えます。「フェルディナンド・マゼラン」に因んで「マゼラン海峡」が名付けられました。クリストファー・コロンブスがインドと間違えて到達した「西インド諸島」の船出より28年後の出来事です。また、フランシス・ドレークが略奪を繰り返しながら地球一周をしたのが55年後のことです。その頃信長は15歳でチョード家督を継いだ頃。エリザベス一世は14歳でまだ姉メアリーの影に隠れていたころ。そんな時代です。地球規模という概念とそれぞれ東西で二人の天才を鳥瞰する事はワクワクする様な歴史の符牒です。

地球が「丸く」なるのを妨げていたのは二つの長大な大陸と大きな二つの海洋です。
南アフリカには航路を開拓した人の名前を刻んだ海峡が存在します。マゼランが開発した航路「マゼラン海峡」とドレークが開拓した「ドレーク海峡」です。その間に「ホーン岬」があります。1914年のパナマ運河開通までは、太平洋と大西洋間の唯一の航路でしたが、現在の商船のルートではありません。ですので当然僕もこの海峡を通っていません。もう一つ海峡ではありませんが地球一周において通らなければならないのが、アフリカ大陸の南端の喜望峰です。
マゼランによって得た「平ら」で「広大な」地球から「丸く」て「小さな」地球へと、次第次第に日常化されていくことになります。初歩的な「グローバリズム」の始まりです。マゼランは三年を費やして地球を一周しています。それから僅か〔?〕350年後の1872年に人類はスエズ運河の大工事を開通させています。これで8000海里は短縮です。
スエズ運河は一つの例ですが「地球規模のグローバリゼーションは加速度的に」今も未来も広がっていくのでしょう。

 

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