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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

オペレーション・セール

2006.04.29

日本のオペレーション・セール

長崎とオランダとの「交流400周年」を記念して2000年に始まった「長崎帆船まつり」は今回で7回目だそうです。開催中、日本丸や海王丸、ロシアのナジェジュダなどの帆船が長崎港に入港しその美しい姿を観客に披露しているようです。

米国の建国200年祭は「1976年7月4日」でした。この時世界的に最大級の大帆船パレードがありました。「オペレーション・セール'76」〔通称 OP SAIL'76〕です。
参加国はアルゼンチン・カナダ・チリ・コロンビア・デンマーク・西独〔当時〕・イタリア・ノルウエー・オランダ・ポーランド・ポルトガル・スペイン・ソ連と日本です。勿論米国は開催国として参加しています。

そして、「日本のオペレーション・セール」ですが、1983年10月23日に「大阪築城400年祭記念」のイベントとして過去国内最大規模のオペレーション・セールである大帆船パレードがありました。この日、「大阪南港岸和田沖から大阪港」までを日本全国から集まった数百隻のヨットと帆船群が帆走パレードを行いました。

交流400周年という「オランダと日本とは」どの様な歴史があるのでしょうか?

世界史の中に「日本」という国が取り込まれた発端はマルコ・ポーロの「東方見聞録」と言われています。彼は一度も「日本」という国を見ぬまま、平泉や佐渡に代表される金山のうわさを信じて「黄金の国・ジパンク゛」を描いたきらいがあります。

マルコの東方見聞録出版以前に鎌倉時代の「北条執権時代」に二度の「元寇」がありました。1274年(文永11)10月の「文永の役」と1281年(弘安4)夏の「弘安の役」です。中学の歴史でみなさん習いました。
マルコ・ポーロはヴェネツッア人です。
塩野七生女史が描く「海の都の物語・ヴェネツッア共和国」の初期の頃に彼は生まれています。
マルコは1270年に故郷のヴェネツッアを父や叔父と共に殆ど陸路を三年半かけて上都開平府〔現在の内モンゴル〕に着きます。そこにはかのフビライ・ハーンがいました。
ヴェネツッア人はヴェネツッア商人であり、海の都を千年亘って生き抜いた民族です。高度な造船技術を持つ交易の民が陸路というのが不思議でなりません。勿論スエズ運河も無いし、海のシルクロードも未だ整備されていなかったせいでしょうか。

彼がフビライに合った年に900隻の船団と船員を含めて三万人を動員した最初の元寇〔つまり文永の役〕を発します。と同時に大都〔現在の北京〕が完成した年でもありました。
30年後、東方見聞録を書き綴るときに、彼はこの元寇での出来事をつぶさに思い起こした事でしょう。
なぜ、大ハーンが日本を征服したかったかを。

国際感覚とビジネス感覚に鋭いマルコをフビライは寵愛した様です。その結果、帰国の願いを何度も退けられ結局故郷に戻ったのは実に25年ぶりだったそうです。
そして冒頭の「東方見聞録」を1299年〔正安元年〕に出版しました。

この「東方見聞録」がどの様に当時の人々に読まれ、噂されたかは想像できませんが、
コロンブスの「黄金の国・ジパンク゛」を発見したいと念じつつ『新大陸発見』〔1492年〕を手始めに、
コロンブスが世を去って五年後の1511年に25歳のヘルナン・コルテスは信じられない事に、たった550名の兵士と100名の水夫と14門の大砲を持ってキューバを立ち、巨大なアステカ帝国を征服〔1521年〕してしまいました。また、ピサロインカ帝国〔ペルー〕を1532年に征服します。
そして、更に、1543年〔天文12〕8月にポルトガル人種子島に来て鉄砲を伝来します。
世界的な日本への関心は「東方見聞録」の宣伝効果が無いとは言い切れません。

渡来宣教師による精力的なキリスト教の布教活動に危険を感じた秀吉は1578年に禁教令を出し、長崎からヤソ教を追放します。以後、家康もこの政策を踏襲します。その後イスパニア〔スペイン〕を排除し「中国とオランダ」のみとし、場所も平戸と長崎に限定します。1633年には在外五年以上の日本人の帰国を禁じます。
そして、1634年には長崎の町人たちに「出島」を築かせ完全に鎖国状態に移行します。
長崎とオランダのお付き合いは出島という針ほど小ささですが、唯一世界への窓であったわけです。
僕らは鎖国というと閉ざされた国を想像しますが、実際にはそれ以前よりも「対外貿易額」は増えたそうです。
ですので、ある意味、鎖国は世界と接する手段としてその機能を十分に果たしたのではないでしょうか?
すると長崎人は幕末の開国以前に既に開国している唯一の開明的な日本人であったのでは?

「長崎帆船まつり」に集合した8隻の帆船に夕刻から「ライトアップ」をするそうです。きっと幻想的な光のなかに優雅なシルエットが浮かぶ事でしょう。週末には約1000発の打ち上げ花火が放たれ、雰囲気を一層盛り上げる事でしょう。

 

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