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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

カティ・サーク

2006.04.24

カティ・サークの名前の由来

アメリカス・カップ」ほどあらゆるスポーツ競技の中で人間の知恵と技術を自然条件の中に対応させてることを競うものは他にないと言われています。米国が鎖国の日本にペリー提督を乗せた東洋艦隊を1851年に差し向けたその年にニューヨークから英国に渡った一隻のヨット「アメリカ号」が一個の銀製のトロフィーを獲得しました。
この一隻のヨットの勝利から始まったこのレースは150年以上、「国家の威信」をかけたプレステージを誇る伝統へと進化させて来ました。
性能の良い「」を創り出すことは、
そこに生きる社会が「文化・経済・情報・交流・交易」などを通じてより良く発展するための重要な基礎的条件であると言うことを古くから古人は知っていたと思われます。
風を受けて走行する帆船造りにおいて「早い船を作りたい」という一心から芸術的な設計と評価される帆船が造られるようになりました。

その帆船が「カティ・サーク」に代表される数隻のクリッパー・シップです。
帆船の歴史は一説には6000年程度あると言われています。
この長い歴史の中でクリッパー・シップと呼ばれる帆船が人々に注目され、熱狂的なレースを展開したのは1850年位から1890年前後の短い間の事でした。特に日本人は三百年間続いた徳川幕府の鎖国政策によって100トンにも満たない和船からいきなり冒頭のペリー提督により黒船による「汽船」の洗礼を受けてしまいました。米国やヨーロッパのような「帆船」の生い立ちから完成までを経験していないのです。
その意味では米国人や英国人の様な国威としての「アメリカス・カップ」を捕らえられないでいる国民であるかもしれません。
ともあれ「カティ・サーク」に代表されてる高速帆船の魂は「アメリカス・カップ」に引き継がれています。

〔カティ・サークの舵輪〕

カティ・サーク〔Catty Sark〕を「帆船の名前」と知らない人も「スコッチ・ウィスキー」としてならばその「名前」を記憶にとどめていると思います。

「カティ・サーク」は元帆船の船長であったジョン・ウィリスの次男であるジャック・ウィリスが船主でした。当時「ジョン・ウィリス父子商会」には1745トンの大型の「ザ・ツイード」という帆走性能の優れた船を一隻保有していましたが、中国・英国間を突っ走るティー・クリッパーには不向きな帆船でした。

十分な資金の無い彼らは著名な造船所に発注できず、無名で斬新な設計を引き受けてくれる造船所を探し、発注します。それが若い設計技師ハーキュリーズ・リントンと造船技師のウイリアム・スコット・モンクリーフでした。
ウィリス親子はスコットランド人で自分の持ち船には必ず故郷スコットランドにちなんだ名前をつけたそうです。「ザ・ツイード」はツイード川を指し、ハローイーンはご存知のハローイーンです。カティ・サークは既に「シー・ウイッチ〔海の魔女〕」と云う名を設計時に付けていたようですが、当時使われていたことが判明し、二番目に用意された「カティ・サーク」と言う名前になったようです。
既に我々にはとても馴染み深い名前の「カティ・サーク」ですが、当時はとても奇妙な船名だったようです。
「カティ・サーク」はスコットランドの古い言葉で「短いスリップ」のことらしいです。
カティ・サークの船首のフィギュアヘッドは下着一枚の女性の半裸像です。
それも「憤怒の形相」で「オッパイ」も丸見えなんです。


〔カティ・サークの船首のフィギュアヘッド〕

18世紀にスコットランド人の詩人で「ロバート・バーンズ」という人が書いた「タモシャンター」という詩があるそうです。この物語は酒好きの農夫タムがある日浴びるほど酒を飲んで馬で帰路の途中に教会で妖精に出会う場面があります。その教会の異様に明るい庭で怪しい悪魔や魔女や妖精の踊りを踊っているところに出会います。怖々垣間見ると若く美しい妖精ナニーペイズリー織りのリンネルで作ったカティ・サークをはおり何も身につけずに踊っています。上手く素通りすればよかったのですが、妖精ナニーに見つかってしまいます。とっさに愛馬マギーに乗り逃げ出すタムを憤怒の形相で追うナニーですが、すんでのところで水の上を魔女は越えることが出来ない事を思い出し、川を渡ります。その時愛馬マギーの尻尾は根元からすっぽりと抜き取られ妖精ナニーの手に握られていました。

カティ・サークの船首のフィギュアヘッドは実は妖精ナニーが憤怒の形相でタムの愛馬マギーの尻尾を握っている姿なのです。
これがカティ・サークの名前の謂れといわれています。


〔カティ・サークの船尾〕

長い間「カティ・サーク」の名前の由来を書こうと思いつつ中々出来ませんでした。
理由は簡単です。
「カティ・サーク」の船首のフィギュアヘッドを自分で撮った「写真」を使いたかったからです。
しかし中々英国に行けません。
その事を知った知人が英国に行った折、王立グリニッジ公園にある「カティ・サーク」を見学し、数葉の写真を僕に送って呉れました。やっとこの文章が書けました。
もう、感激です。感謝です。言葉に表せません。ありがとうございます。

参考文献「大帆船時代」杉浦昭典著

 

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