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Cutty Sark

Cutty Sarkは常に夢を追い続ける希望の帆船です。I still have a dreamのこころざしを持って海図にない航路を切り開きます。

美しいビーチ

2005.08.03

今日も真夏日だ!こんな日はカイルア・ビーチの椰子の木陰が無理でも生家の浜辺で冷たいコークと好きな歴史小説でも読んでいたいものだ。僕らがビーチで海水浴を楽しむのは源流から分流した「黒潮」です。三陸沖で寒流の「親潮」と合流するこの黒潮の規模は幅50-100㌔㍍、深さ200-1000㍍、で毎秒2500-6500万トンの大容量の海流です。速さは最大で2-7ノットもあります。ヨットや帆船や商船(推進機のある船)はこの海流の恩恵にも障害にも会います。物事何事も二面性が潜んでいますら。この季節の土日の子供ちたの不幸な海の事故はこの海流特有の速さが一つの原因と密かに思っています。この世界最大・世界最強の海流は既に六万年前(後期更新世後半)に存在していたと言われています。ただし、その流路に関して日本近海の島々の形状と黒潮の流路が複雑な事もあり、学会でも諸説があるらしい。いずれにしても日本海に黒潮が入り込んだのは8500年前の頃で完新世の時代と言われています。対馬海流の誕生です。これでほぼ今の黒潮の全体像は確立。この海流の生い立ちと人類は結構密接な関係にあるようです。以前読んだ本で、六万年前頃にアジア大陸の東の端に既にホモ・サピエンスが定着し、旧石器文化を形成していたらしいのです。「安田喜憲教授」が提唱する「長江文明」が是としたら、温帯ジャポニカは長江下流の川口から黒瀬海岸を経由して日本国内に伝播したのではという仮説はすんなりと理解できます。蛇足ですが、この長江文明の数々の遺跡を見て見たいものです。昆明から河口まで相当な距離ですが遺跡走破をしてみたい。定年後か。そういえば温帯ジャポニカで思い出しましたが、ジャーナリストで株式会社インサイダーの高野孟氏が塾長を努める「鴨川自然王国・帰農塾」が面白そうです。共鳴すれば参加もよし。

さて、生家のピーチの本題に戻ります。田舎の海岸でこの黒潮の分流のここ100年程度でも大きく蛇行が始まっています。小学生のころ、広々とした海岸線でよく遊び泳ぎましたが、海岸へ通じる道路から波打ち際までの距離は100㍍以上の長さの砂がありました。子供の頃は自宅からいきなり海水パンツ一丁で海辺に行きます。100㍍の砂浜は高熱で波打ち際まで猛ダッシュしませんと、裸足の足の裏は低温やけどです。その砂浜が中学生の頃には50㍍になり、台風の余波を避けるために堤防を作りました。よちよち歩きの子供のころの写真を見ますと、堤防はありませんでした。それから10年もする30㍍を切る距離まで侵食されました。その時、ある大学(東海大学であったような?)の海洋学の教授がワイキキ・ビーチ(この件は後日)と同じ様な調査・研究を行い、市と大学が共同でプロジェクトを組みました。この方式はワイキキ・ビーチとは異なりもっと画期的な方法でした。それは沖合いにテトラポットを大量に沈め、海流の流れを強制的な変え、沖合いに持ってい行った流砂をもう一度海岸に持ち帰るという発想です。実は侵食された砂は沖合い数キロに綺麗に積みあがっていたのです。なんとこの方法で海岸の幅が20メートルも増えました。当時私も海洋学を少し勉強し始めた時期で、非常に興味深くこのプロジェクトを見守っていました。それから20年経過した生家の海岸は蛇行による侵食を防ぐためにより大量のテトラポットが投入され、子供の頃美しいと感じた海岸は脳裏にしか存在しなくなりました。
DSC00036.JPG
写真は三ヶ月に一度はキムタクが現れるという小学生の頃良くボディー・サーフィンをした海岸です。たまたま撮った日は低気圧の影響で波が少々高く泳ぐには不向きな天候です。

※ノット 1kt=1.852km/h

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